やさしくしないで






 「しまもとさんはぁ、らんでそんらにやさしぃんですかぁ?」
 いつもの飲み会、わいわいと賑やかに騒ぐ仲間たちを煽るように野次を飛ばしているといつの間に現れたのか隣にはぐでんぐでんに酔った大口がいた。南国人種を思わせるようなはっきりとした目鼻立ちをした顔も、少し大きな耳も、しっかりと張った首筋も真っ赤にしている。酒は飲めるがそうは強くないことを自他共に知っているくせにたまにこんな風に前後不覚に酔う時がある。それは多分、自分の中で消化しきれないなにかがあった時なのだろうと大体の予想はついているが、本人がなにも言わないので放っている。下手に聞き出そうとすると平常時以上にウザくおしゃべりになるからと言うのもあるのだけど。
 多分今日もそんな感じなのだろうと軽く「はいはい、ありがとさん」とあしらうと、ぷくりと頬を膨らまして拗ねた顔をした。
 「しまもとさんズルいー。こんなときだけおれにもやさしー」
 「俺にもってなんやねん。俺はいつだって誰に対しても優しいやろ」
 大口の言葉に少し引っかかってそう返すと大きな瞳できっと睨まれて、その上腕まで掴まれる。
 あぁ、しもた。タチの悪い酔っ払いやったんやこいつ。と、後悔したのも後の祭り。腕をぎゅっと握り締め、その薄い唇はマシンガンのように言葉を吐き出し始める。
 「しまもとさんはおれにはやさしくないの。ふだんだってひょうごとかこてつさんとかおおばはいっぱいほめるのにおれだけはぜったいほめてくれないもん。コーヒーいれたってたかみねさんとかながくらさんとかにはありがとってゆうのにおれがもっていってもゆってくんないし。しきざいとってあげたってさなださんにはおれいゆうのにおれだととってあたりまえみたいなかおするし。ゴハンさそってもくろいわさんたちゆうせんするし、デートにさそったってめんどくさいってことわるし。ちゅーもそんなさせてくんないしえっちだっ」
 「はい、ストップ!」
 動き続ける口を力いっぱい押さえつけるとぷきゅっと変な音がした。それと同時に恨みがましそうな視線を投げかけられる。
 「いやいや、いらんこと言いかけたんはお前やろ。それに酔っとるお前ってなに言うとんかいまいちわからんねん」
 「ほらまたつめたいー。やさしくしてくださいよぉ」
 大きな目にうっすらと涙をためてじたじたと子供のように駄々をこねる。いつもの大人ぶった姿からは想像もできないぐらい子供っぽくて微笑ましくも思うのだけれど、いくら子供っぽいと言ってもアルコールの入った子供なのだ。掴まれた腕はぎゅうぎゅうと痛みだすし、真横でわんわん喚かれてうるさいことこの上ない。
 けれど酔っ払い相手に本気で怒っても効き目がないことはわかっている。諦めたように溜め息をつくと、なぜか大口はびくりと肩を震わせて今まで掴んでいた腕を離し、しおしおと、まるで叱られた仔犬のような表情になる。そうしておとなしく壁にもたれ掛かると嶋本を伺うように上目遣いで見つめてきた。
 「なんやねん。どないしてん」
 「…………キライになっちゃヤです」
 ずずっと鼻をすすりながら呟いたその言葉も声もやけに可愛くて、いたいけな幼子を苛めているような気分にさせられる。普段のように口悪く吐いた軽口も、ちょっとした態度もすべてそのまま捕らえて一人悲しくなるのだ。意図せず悲しそうな顔を見せられたこっちは必要もない母性が発動したり、痛まなくていい心をちくりと刺激されてしまうのだ。
 今だってほら、右手が勝手に動いて少しだけセットの崩れた大口の髪を梳くように撫でてしまっている。それだけでたちまち笑顔になる大口を可愛いと思ってしまっている。
 これだから酔った大口はタチが悪いのだ。
 「しまもとさん、ちょーすき」
 無邪気な子供のようにふわりと笑って、今度は甘えるように腕にしがみついてくる。ふにふにとしばらく頬を摺り寄せていたと思うと、コトリと肩にその頭を預けて眠りに落ちてしまった。
 「えー、ありえへん……」
 大口の髪が首筋をちくちくと刺激するのを感じながら、空いた手でぬるくなったビールを飲み干す。だらりと落ちて重なった手を緩く握ってみると、きゅっと握り締めてくる。まるで赤ん坊の反射のように。
 盛大に酔っ払った大口は、きっと今日のことを覚えてないだろう。大人ぶって賢く振舞う大口をニヤニヤと笑って見ていてやるのも楽しいかもしれない。
 「………俺は、優しいやろ?」
 取りとめもなくそんなことを思いながら繋いだ手はそのままに黒岩に潰されていく仲間たちを笑った。